【CLOSE UP】イ・ビョンホン ― メロドラマになった男

映画「王になった男」は、イ・ビョンホンの姿で始まる。身支度を終えて客席を眺めるだけで、彼はすでに王である。台詞を何も言わなくても、イ・ビョンホンは疲れ果てている、だが温厚ではない光海の煮えたぎる心中を伝えている。確かに素晴らしいテクニックではあるが、イ・ビョンホンにとってこれはそう新しいものではない。映画「甘い人生」から「悪魔を見た」まで、ある瞬間からイ・ビョンホンという俳優は、叫んだりもがいたりしなくても複雑な心境を押し詰め、表現することに卓越した才能を見せてくれた。高まった声はリズムに乗るように元の声に戻り、表情の演技より目を使った演技が引き立てていたが、その抑えられた動きは、イ・ビョンホンをより冷たく暗い人物へと作り上げた。映画「G.I.ジョー」でもイ・ビョンホンは悪態をついたり吠えたりすることはなかった。完璧にオーダーメイドされた服のように、彼は優雅に穏やかではない権威と透明ではない意思を描いている。彼が演じた人物たちが、善と悪の境界を越え常に魅力的に思えたのはそのような理由があったからだ。完全にアピールしないがゆえに彼の善意は切なく、悪意は誘惑的なのだ。混沌を演じた俳優は、観客を混乱させ、そして虜にした。

 

【CLOSE UP】イ・ビョンホン ― メロドラマになった男
写真=TENASIA

イ・ビョンホンの過去と現在が生々しく生きている「王になった男」

しかし、「王になった男」での彼は自分の特技をそっとしまっておいた。王様よりは王という呼び方がふさわしい光海の代役をしたハソン(イ・ビョンホン)は、今までの10年間イ・ビョンホンが着実に積み重ねてきた彼の方法を正面から裏切る人物だ。お尻を振りながら踊り、卑猥な冗談を口にするグァンデ(ピエロ役の芸人)の姿から、食い意地を隠さず、それだけではなく生理現象にさえ忠実だった彼の姿は、見慣れぬほどに余裕がある。自ら「SBS『Happy Together』で間抜けなほどバカなキャラクターを演じた事がある」と世間の驚きに対して疑問に思っているが、彼の演技は決して退屈で繰り返し再生ではなかった。彼はありのままの人物を表現し、観客は彼が見せる通りに信じながら物語を追いかけていった。そして、それはハソンに適切に加えた優雅さがあったからだ。疑いの余地もない平民の姿であるにもかかわらず、王の資質に対する疑問を抱かなくなったのは、完璧なピエロの姿ではなく、完全に自分だけのピエロを作り上げた俳優のパワーがあったからだろう。しかも題材や物語の進行や似たような物語をどうしても浮かばせてしまう弱点を持つ「王になった男」が、今の没頭具合を確保できたのもまた、物語の大部分と言えるハソンの心がそのまま客席にまで上手く伝わったおかげと言えるだろう。

だからこそイ・ビョンホンが二人の人物を演じたという事実そのものは、そんなに驚くことではないのかもしれない。彼に驚いたところは、今のイ・ビョンホンを移植した光海と昔のイ・ビョンホンを呼び出して来たようなハソンを同時に表現したところなのだ。色を上塗りしていくと段々黒色へと近くなるように、経験の積み重ねは現在の強さを意味するものだ。「王になった男」のチュ・チャンミン監督が最初、イ・ビョンホンをキャスティングすることに確信を持てなかったのは、まさにそうした慣習的な変化に対する心配があったからだろう。さらに「間違った演技よりも信念のない曖昧な演技の方が嫌い」と言うほど完璧に人物を演じてきたイ・ビョンホンの態度も、虚々実々のコメディとファンタジーに近いストーリーを説得させなければならない映画の温度と少しかけ離れた部分が見えたかもしれない。しかし、イ・ビョンホンの確信はカメラの前で初めて完成されるものであり、彼はその確信を持つために監督と絶えず話し合い「時には全く準備されていない新しい演技をしてしまう」動物的な感覚を利用した。こうした過程を通して、健康な笑みを浮かべる善良な青年であるイ・ビョンホンの姿が甦った瞬間、人々はこれまで彼との距離が遠ざかったのではなく、ただ広くなっていたことに気づくようになった。

 

【CLOSE UP】イ・ビョンホン ― メロドラマになった男
写真=TENASIA

「次回作」はない、常に「新しい作品」があるだけ

だから「王になった男」は、映画の中はもちろん、外側でもメロドラマの法則へ吸引する作品なのである。中宮(お后)はもちろん、宮廷の人物たちを瞬時に自分の味方にしていくハソンには、緻密さやずる賢い気配は見られない。ただ相手の心を察し、聞きたい話を聞かせてくれるハソンは、ほとんどの人物たちと短い恋愛感情を分け合うように共感しては親しくなって行く。ついに重い苦悩の陰を下ろし、泣いては笑う最も普通の感情を分かち合うようになったイ・ビョンホンが観客と出会う瞬間もそれと変わらない。作品を選択することにおいて戦略を作ったりしないという彼には、適切な「次回作」などはない。彼にとって映画とは、常に「新しい作品」として訪れる。そして新しい人に夢中になるように、イ・ビョンホンはスタートラインから作品と人物を身にまとう。彼の過去の映画と今までの映画に至るまで彼をめぐった物語は、劇場の中で力を失う。ただ映画の中のイ・ビョンホンだけが観客と会い、説得し、虜にするだけだ。ヨンサン(龍床:王の座る席)に昇ったピエロが人々の心をとらえたことは、結局王の顔や声ではなく、ピエロの真心があったからだ。このメロドラマが長く続きそうな予感がするのはそのためだ。

記者 : ユン・ヒソン、編集 : イ・ジヘ、翻訳 : イム・ソヨン