パク・ジニョン「僕は感情の起伏が激しい…だからこそ20年間で500曲以上作れた」

パク・ジニョン「僕は感情の起伏が激しい…だからこそ20年間で500曲以上作れた」インターネットのコミュニティには3大芸能事務所(JYPエンターテインメント(以下JYP)、SMエンターテインメント、YG ENTERTAINMENT)を比べる書き込みが定番のネタとして登場する。そのうち、JYPの代表パク・ジニョンについて「彼が最高だ」と表現した書き込みは、多く共感を得ている。JYPは3大芸能事務所の中で、代表が最も活発な音楽活動と芸能活動を繰り広げる会社である。ほとんどのアーティストの曲がパク・ジニョンの手から生まれ、パク・ジニョンも着実に自身のアルバムを発表している。さらに、パク・ジニョンが最近発表した自身の新曲「Who’s your mama?」はここ数年間、JYPで発表した曲の中で最も高い成績を記録している。パク・ジニョンについて「彼が最高だ」という表現が、理由もなく出たのではないと改めて感じる。

でも、そんなJYPが変わり始めた。パク・ジニョンの曲ではなく、外部作曲家の曲がアルバムのタイトル曲になり、30人ぐらいの作曲家チームも作られた。「Studio J」などレーベル事業も本格化され始めた。パク・ジニョン中心の体制だったJYPが、システム中心体制として生まれ変わった。そして、このすべてはパク・ジニョンの変化から始まった。パク・ジニョンの考え方が「僕が最高だ」から「会社が最高だ」に変わるようになったきっかけは一体何だろう。ミュージシャンとして、事業家としての考えを聞いてみた。

―「Who’s your mama?」のヒットの秘訣は何だと思う?

パク・ジニョン:一番重要なのは運だと思う。以前は「これが重要だと思う」と一つに熱中したが、もう大人になったからか、良い企画で熱心に準備しても上手くいかない時もあって、大まかにやったのに上手くいく時もあるという風に考えるようになった。それで、人生に混乱する時もある。代表的な例がアメリカで活動した時だ。ウィル・スミスに曲を売った時は信じられないくらい嬉しかった。でも、一番悲惨で悔しかったのは2008年にリーマン・ショックが発生してアルバムがキャンセルされた時だ。僕の青春をすべて捧げたのに、アルバムの発売計画自体が白紙化されて、僕がアメリカにまで連れて行った後輩たちにも申し訳なかった。取りあえずやってみて、ダメだったらそれほど悔しくなかったはずだが、その事態がどうして僕に影響を及ぼしたのだろうと悔しかった。

―その後、たくさん変わった感じがする。

パク・ジニョン:人生に対して色々と悩み、結果よりも過程に集中しようと思った。それで、その過程に最善を尽くして、正しくやっているのかという過程に焦点を置いたら、こうやって生きている自分がいた。結果に焦点を置いた時は眠れなかった。そのままにしておいたらパニック障害になりそうだった。最近の音楽配信チャートは5分単位の順位がある。会社の職員たちがそれをチェックしていたが、それは違うと思った。証券会社では午前9時から午後5時までモニターするのに、僕たちは24時間見ていた。それで「このままではいけない。過程だけを見よう」と心に決めた。だからなのか、良い結果にもそこまで興奮しなくなって、結果が悪い時でも落ち込んだり挫折しない力が生じた。

―miss Aと同時に1、2位を記録している。一緒に活動するようになった理由があるのか?

パク・ジニョン:SBSのオーディション番組「K-POPスター」の決勝戦に、アルバムの発売時期を合わせようと思った。決勝戦には2人だけが出るので、残りの時間を埋めなければならないという課題がある。それで、審査委員が公演するのが一番刺激的だと思ってアルバムを準備している中で、その曲だけ先に発表した。miss Aが出る時、miss Aがこんなに長い間1位を維持するとは思わなかった。最近は2週間以上1位を記録する曲がないからだ。でも、もし僕が出なかったら、miss Aは4週間以上1位を記録したと思う。会社としては問題がないが、miss Aのメンバーたちには申し訳ない。今日もインタビューが終わってからフェイとジアにご飯をおごる約束をした。

―残りの曲も完成された状態なのか?

パク・ジニョン:今、「Who’s your mama?」の他に6曲ある。そして、2曲ぐらい新しく作る予定だから、早ければ8月にアルバムを発表できると思う。全部いやらしい曲だ(笑)

―パク・ジニョンは以前からいやらしい曲を多く書いている気がする。

パク・ジニョン:割合で考えたら、いやらしい曲は少ない。悲しい時は悲しい曲、踊りたい時は踊れる曲を作った。今までに作った曲は500曲以上だが、いやらしい曲は100曲にもならない。僕の職業は本当にありがたい職業だ。楽しむためには、本当に感じているものを書かないと楽しめない。頭を使って作業すると、過程が面白くない。すべての曲を、自分で感じたものを書かなければならない。500曲は僕の人生の記録だ。でも、どうしていやらしい曲だけ「パク・ジニョンっぽい」と表現するのだろう。どうして僕が悲しい表情をした時じゃなくて、いやらしい表情を浮かべた時に「パク・ジニョンっぽい」と言うのだろう。それで考えてみたが、嬉しい曲や悲しい曲は他の歌手も歌う。でも、いやらしい曲は僕だけがやっているから「パク・ジニョンっぽい」と表現するようになったと思う。

―やはりJYP最高のアーティストはパク・ジニョンだと思う?

パク・ジニョン:実は青出於藍(青は藍より出でて藍より青し:弟子が師よりも優れているたとえ)になった方がよいと思う。そうなるためにより努力しなければならない。そんな話を聞いた時、実は嬉しくない。僕の人生の多くの時間を、他のアイドルを教えて育てることに使ったからだ。

―最近、JYPのシステムがパク・ジニョン中心から抜け出して開放的に変化している。

パク・ジニョン:3年前に決心したことがある。僕の歌手生活は60歳の時、ダンスと歌を一番上手にできるようにやっていこう。また、会社の場合はその当時、調べてみたら1、2位を争っている会社なのに時価総額が1兆ウォン(約1106億9294万円)を超えていなかった。それで、1兆ウォンを超えるにはどうすればいいだろうと売上、営業利益のシミュレーションを行ってみた。その結果、今の状態では超えられないという結論を下した。アメリカで唯一得たのは、アメリカのアルバム会社の構造をすべて知るようになったということだ。ユニバーサル、ソニーミュージック、ワーナーなど大量生産システムがどのように可能なのか知るようになった。その次からは、パク・ジニョンがいない会社を作ろうと決心した。最初はとても戸惑った。もともと何でも自分で決めたから、そうしないことで話にもならないミュージックビデオや結果が出た。3年間の試行錯誤を経て、最近やっとシステムが安定している。外部作曲家の曲も試みて、その間に30人を超える作曲家を育てた。僕の影響力を最小化することに主力した。それが良い結果になるまで3年という時間がかかった。そのシステムはほとんど的中した。女性デュオ15&の「LOVE IS MADNESS」も費用に比べて驚くべき収益率を出して、miss Aやパク・ジミンも予測よりさらに良い成果を収めた。

―音源を消費する周期が早くなったという不満があるが、大量生産をするようになったらより早くなるのでは?

パク・ジニョン:miss Aが長い間愛されているのを見たら、そうでもないと思う(笑) 1990年代と比べたら、最近の音楽の一番大きな変化は間奏がないということだ。1990年代にはすべての曲に間奏があった。でも、最近は間奏が入ると、人々は音楽を消してしまう。人の性格がせっかちになったのもある。

―流通会社になることが目標なのか?

パク・ジニョン:それと似ている。でも、アメリカでは新人歌手を発掘しても、育成はしない。それがK-POPとの大きな違いだ。発掘と育成は韓国の強みだからそれは今後も持っていて、徐々により多く投資する一方、レーベルシステムだけ変えたいと考えている。だから、会社の方向を流通会社に変更したくはない。

―システムが的中したと話したが、予測はどんな方法で行っているのか?

パク・ジニョン:新曲が出たら、その曲がどれくらい上手くいくかについて15人くらいと一緒に予測する。「Who’s your mama?」の場合、歴代最高点である94点が出て、実際にも歴代最高成績を記録した。その結果に驚いた。やっと予測が合い始めた。これからもすべてを合わせることはできないだろうが、大きな枠では合うと思う。曲が出た時、点数によって予算を決めて、それによってシステムを作る。

―「K-POPスター」の誇張された審査評をめぐって色んな意見があった。

パク・ジニョン:僕は感情の起伏が激しい。とても激しい。だから、20年間、500曲を書くことができた。適当に嬉しかったり、悲しかったら、曲は出来ない。僕がある瞬間、自分の心と表現の間にフィルタリングを始めるようになるのが怖い。それで、フィルタリングをする代わりに、フィルタリングする必要がないほど立派な人になるのが目標だ。言葉にも、行動にも気をつけないほど立派な人になるのが目標だ。気をつけるよりも、最初から上手に考えたい。会社の後輩にも、いつも注意する必要のない立派な人になりなさいと言える代表になるのが目標だ。審査評の表現は本当に誇張されたものではなかった。心が誇張されただけで、表現は誇張されていなかった。

―自分が言った審査評が自分の活動時に適用されることもあるのか。

パク・ジニョン:あ、「空気半分、音半分ではない」「顔をしかめた」などがある。悪口は“ビニールズボン”(過去に着用した衣装)の時からすでに言われていた。その時、すでに終わった(笑) 悪口は死んでもなくならないだろう(笑)

―最近出た歌手の中で、パク・ジニョンが考える新鮮で面白いミュージシャンは誰なのか?

パク・ジニョン:PJというアーティスト兼作曲家がいる。Zion.TとCRUSHが歌った「Just」という曲を作った。その曲を聞いてとても驚いた。彼がRhymebusというチームにいる時も曲を聞いて驚いたことがあった。「Just」の伴奏は専門家には分かるレベルのもので、刺激をたくさん受けた。僕の音楽リストに韓国の曲は39曲しかない。「JYP名誉の殿堂」だ。その39曲の中に「Just」が入っている。僕の曲は10曲ぐらい入っている(笑)

―パク・ジニョンは自ら“タンタラ”(芸能人を見下して呼ぶ言葉)と称している。JYPの中にパク・ジニョンを継ぐ次世代タンタラがいるのか?

パク・ジニョン:何人かいる。でも、呼ばれない後輩が傷つくと思うので、ここで名前は言えない。でも、全員に可能性はあると思う。ただ、その可能性が実際に発揮されるのは難しい。僕が生活態度をとても重要視するからだ。普通、タンタラなら、そのぐらいの才能があればうちの会社に合わせて生活するのが息苦しいはずだ。本当は自由に生きたいという血が身体の中にたくさん流れているのに、善良に生きなければならない。また、実力は優れているのに性格があまり良くない後輩は残念ではないが、逆に性格は良いのに実力が少し足りない後輩は本当に残念だ。JYPから出た後輩がそうだと言っているのではない。生活態度は本当に良かったが、音楽的な方向性やカラーが合わなくて出て行った後輩もいる。その中で今成功している後輩を見ると、本当に嬉しい。

―JYPの練習生出身の歌手が音楽界に多い。

パク・ジニョン:うちの会社は確率がないと、会社から送り出すシステムを持っている。それで、他の会社に比べてとても多くの練習生を送り出す。そこには色んな理由がある。音楽的な方向性が合わなかったり、生活態度が合わない人もいる。それで、いつも送り出す準備をする。まず、成績が中間から下に落ちると、練習に出れないようにする。練習生の人生も大切だから、再び元に戻る準備をするようにする。デビューさせる自信がなかったら、早く送り出す。皆、誰かの大切な息子、娘なのにずっと会社に置いとくわけにはいかない。違うと思った時は、すぐに送り出す準備をさせる。

―新人ガールズグループプロジェクト「SIXTEEN」はどんな絵を描いているのか?

パク・ジニョン:描いている絵がないから自信がある。実は、デビューするメンバーはすでに決まっているのに、宣伝のためにリアリティ番組を行うケースがある。そして、実際に番組を通じてグループを作るケースもある。僕の場合は後者だ。前者は人々を欺く行為だと思う。リアルではないからだ。僕は人々を欺くのが嫌だ。「SIXTEEN」の16人のうち、8人と今回初めて一緒に話してみた。実際、練習生のうちは知らない人も多い。今はその一人ひとりを知っていく段階だ。何でも真正性が重要だ。本物は力があると思う。

―新ボーイズバンド5LIVE(ファイブライブ)のデビューはどうなっているのか?

パク・ジニョン:今、クリエイティブシステムまで上がっている。現在、実力がとても安定した。偽物のバンドは嫌いで、本物のバンドを作ろうとして長い時間がかかった。1曲が想定されたから、その曲の点数が80点を超えれば、デビューを準備すると思う。

―これからの目標は?

パク・ジニョン:まず、10社のレーベルを作るのが目標だ。AQE、Big Hitというレーベルで試行錯誤を経験した。まだ、アイドルでレーベルを経営するのは難しい。でも、ミュージシャン中心のレーベルを作れば、勝算があると思った。それで、「Sudio J」を作ってG.Soulと15&を入れた。G.Soulはデビューに成功して、15&は収益率が良かった。このようなやり方で10社以上のレーベルを運営するノウハウを開発している。もし僕が死んでも、上手くやっていける会社を作りたい。スティーブ・ジョブズが死んでAppleの株価は半分になった。それを見て、僕がいない会社をどうにか作らなければならないと考えた。1、2位を争う時はその実験ができないが、その順位から押し出されたら何でもできるようになった。ここ3年間は本当に意味深かったと思う。

記者 : パク・スジョン、写真 : JYPエンターテインメント、ペン・ヒョンジュン、翻訳 : ナ・ウンジョン